はじめまして、瓦寅工業㈱社長の渡邊です。
毎年11月22日に、四天王寺さんでは「番匠堂曲尺太子奉賛法要(ばんしょうどうかねじゃくたいしほうさんほうよう)」が、四天王寺管長猊下(げいか)ご導師のもと厳修されます。
平成28年11月22日も、例年通り好天に恵まれ、境内番匠堂前で四天王寺森田俊朗管長猊下以下四天王寺高僧、ご関係者、工事関係者参列の元、開催されました。
大工の始祖は聖徳太子
番匠堂は、日本における大工技術の始祖として番匠(大工)達から尊崇されている聖徳太子を祀り、曲尺(かねじゃく)を携えたそのお姿より、世に曲尺太子と称されております。
四天王寺は推古天皇元年(593年)に、聖徳太子が鎮護国家・済世利民のご請願により創建され、その際、伽藍建立にあたり、百済国より、最新の番匠の技術を招来されました。また、聖徳太子は七堂伽藍の建立にはやむを得ず大地の産物の命を絶ってしまうので、金槌(かなづち)・鋸(のこぎり)・錐(きり)などに仏性を入れて、番匠器(大工道具)で「南無阿弥陀仏」の名号を書かれ、大工の工事安全と伽藍の無事建立を祈られたと伝えられています。
文化国家日本の先駆けとなった四天王寺伽藍の建立は、聖徳太子並びに番匠の人々の叡智とたゆまぬ努力の賜物であり、その偉業を顕彰し、併せてあらゆる建築にたずさわる人々の守護のため、番匠堂が建立され、平成14年11月22日に落慶されました。
引用元:法要次第
番匠堂落慶の平成14年より、毎年欠かさず開催され、私も欠かさず参列させていただいているのですが、不思議と、1度も雨には合わずに済んでいます。これも、お太子様のおかげです。
終わった後、番匠堂の向かいにあります、聖霊院 絵堂の聖徳太子御絵傳(聖徳太子のご一生を7面の壁画で描かれた絵傳)を、拝観させていただきました。
帰路も、チャリ(自転車)です。自転車で会社から四天王寺へは、「行きはよいよい帰りはこわい」の反対で、行きは、上町台地への登り、帰りは逆の下りだからです。
四天王寺 五重ノ塔 改修工事
ところで、あと6年後の2022年には、聖徳太子が50才でお亡くなりになって千四百年。
四天王寺では、聖徳太子千四百年御聖忌に向かって、現在中心伽藍の耐震他改修工事を行なっておられる真っ最中です。番匠堂の向こうに見える伽藍がそれです。
中でも、五重塔が真っ先に改修されましたが、構造の耐震補強工事と共に、屋根瓦の全面葺き直し、塗装のやり替え等も行われました。
もちろん、屋根瓦の葺き直しは、当社で行わさせていただきました。
鉄骨鉄筋コンクリート造の建物で、モルタルの縦の棒状の受け地に少量の土を併用して、銅線で緊結固定されていましたが、既存瓦をすべて一旦取り外し、モルタル棒状下地を新しく防腐・防蟻剤加圧注入処理した木材の下地にやり替えて、既存瓦を再使用して、銅線で緊結して葺き直していきました。
破損したり、大きな損傷がある瓦は、新調瓦と交換しましたが、数%の補充だけでほとんどの既存瓦は大丈夫でした。
大阪日日新聞 2015/12/28 四天王寺「聖徳太子千四百年御聖忌」本格始動 記事
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